最近、イングヴェイの演奏を改めて色々見て聴いて「コイツはヤバイな。」と思っています。
その中でこんな動画を見ました。
色々と思ったので考えの整理がてら書いていきます。
ギターの完コピは同じフレーズを同じタイミングで弾けても完コピじゃない
見ていて最初に思ったのは「太田カツさんは相変わらず上手い」でした。
でもすぐに感じたのは「イングヴェイの完コピ(そのまま)ではないな」でした。
そもそも論として「完コピとはなに?」の定義が必要です。同じフレーズを弾けるも完コピとも言えるし、プレイヤーと全く同じ本人と同じを完コピと言う人もいます。
この記事ではあくまで「イングヴェイかどうか」だけに決めますね。(この記事では同じフレーズを同じタイミングで弾けるのは完コピとは言えないとします。ハードル上げてます)
そのうえでもう一度動画を見てみます。
Demo/ Yngwie FAR BEYOND THE SUNCD完コピ 【太田カツギタークリニック 生徒募集中! 】
Far Beyond The Sun Yngwie Malmsteen
こうやって比べると違うと思ってしまうんですよね。
とはいえ超絶上手い&細かい部分まで気を遣った上手すぎるコピーには違いありません。
では、なんで違いが出るのかな?と。
ギターの完コピは自分のキャラクターがあると完全コピーはできない
上手いのに完全にコピーじゃない。その人じゃない。
その理由は「太田カツというキャラクターが強いから」です。
太田カツさんは昔から超上手くて丁寧で無駄を省いているエコな弾き方の印象を受けていました。無駄がない弾き方には憧れました。練習・ライブを通してそのキャラクター・性格がギターのプレイにも反映されていますよね。
「太田カツのギタープレイ」「太田カツというギタリスト」が確立されています。
キャラクターが強いがゆえにイングヴェイの完コピをしても「太田カツの色」がめちゃくちゃ出ているんですよね。
弾き手の色が強く出ているためにイングヴェイじゃない。フレーズは完コピだけどイングヴェイの完コピじゃない。(そもそもイングヴェイの完コピをするとまでは誰も言ってないんだけど←)
有名な人のプレイを聴いてて「何を弾いても○○じゃん」と思ったことありません?スティーブ・ヴァイなんか何を弾いてもヴァイじゃんって思ってしまう。
赤という色の中に原色の黒を数滴落としたら色は変わりますよね。そんな感じ。
だから
ギターの完コピは自分のキャラクターがあると完全コピーはできない
とも言えるのかもしれない。
とても素晴らしいことにキャラクターが確立してしまっているから何を弾いてもそのキャラクタ&自分印が出てきてしまう。
個人的には羨ましいし凄まじく素晴らしいことだと思っています。
完全コピー=その人本人と全く同じになるには自分が強すぎる。
ある意味、自分のキャラクターが薄い・まだ確立していない・強烈な個性まで発展していない人こそ完コピに向いているのかもしれない。とも思ったり。
ギターの完コピは自分のキャラクターがあってはできない。という話
上手い下手の話をしているのではなくて、自分の色が濃すぎる場合はコピーをする人の色になることは難しいのかも?と思ったんですよね。
自分の色がもうあるんだもん。
誰かの色に完全になるのは難しい。
完全な赤が完全な青になるのは難しいというイメージ。
そもそも機材もピックも人間の骨格も体重も全部違うんだから厳密な完全コピーなんて不可能なんだけど、キャラクターが強いとさらんび難しいんだろうなと思った動画でした。
でも相変わらず丁寧で上手すぎるプレイでしたね。あの両手の無駄のなさは素敵すぎる。
ギターの完コピは自分のキャラクターがあってはできない。
と絶対そうだ!と言いたいわけではなくて「こういう一面・一因もあるのかな?」と浮かんだ考えを整理がてら書いてみた…
という話でした。
【追記】あまりにも強いキャラクターをコピーする場合に限るかもしれないですね。コピー元本人の個性が強いからこそ、コピーする自分の個性がありすぎると同じにはなれない。両方強すぎるがゆえの問題かもしれないですね。