人は「Aを選んだ」という選択をした際には「Bは選ばなかった」という選択を取っている。
Aを助けたという選択の反面ではBを助けなかったというのもある。
お腹が減っていて「マクドナルドを選んだ」ということは「モスバーガーを選ばなかった」であり「近くの蕎麦屋を選ばなかった」ということでもある。
「ブラックサンダーを買った」ということは隣にあった「うまい棒を買わない」という選択をした。
欲しかった機材を買ったということは他の機材を選ばなかったということでもある。
今の妻や彼女、夫や彼氏を選んだということは、他の女性・男性を選ばなかったということである。
Aさんに仕事を依頼した場合、Bさんには仕事を振らなかったということでもある。
自分が音楽をやっていて「こんなギタリストになりたいな」と目指す理想を考えた際には、多数の目指さなかったギタリスト像がいる。
Fenderを選んだということはGibsonを選ばなかったということでもある。
理解されづらいけど、人間は必ず無意識に選ばなかった選択を取っている。(マジでこれは理解されない)
人間は必ず無意識に取捨選択をしているし、
無意識に優劣・選択をしている。
良し悪しの問題ではなく善悪の問題ではない。
好きな方を選んだ一方で別の事は一番好きではないということでもある。
僕がこの文章を書いている一方では、知り合いと仲良くする時間を削っているという選択を取っている。
やりたいことが今はこれを書きたいだったからね。
やりたいこと、欲しい物、遊ぶ人の「1番を選んだ」なら「2番目以降は選ばなかった」ということでもある。
だからなんだっていう話なんですけどね
ここまで書いて別に誰かを批難したいわけでも文句を言いたいわけでもない。
個人的にはこういう考えは当たり前だと思っていて、案外理解されないことが驚いた経験を思い出したので書いてるだけ。
大昔にこのことを言ったら怒り出す人もいたな~っていう。
1番を選んだっていうのはその時は1番じゃないのが出来上がってしまったわけなんよな。
この事実は絶対ある。
このコード進行でこの音を当てはめた時には自分の中での感性としての正解があるし、逆に選ばれなかった音は感性としては不合格・なんか違うということでもある。
「Aを選んだ」という選択をした際には「Bは選ばなかった」という選択を取っているんですよね。
無意識っていうのは本当に自然にとってしまうんですよね。
個人的にこの考えは「なんでAを選んだのか、Bを選ばなかったのか」などの自己分析に使えて結構好きだったりする。
っていうお話でした!
「予想どおりに不合理」という本は面白い
この文章を書いていて「予想どおりに不合理」という本を思い出した。
無意識に色んなことをしてしまうよ~、みたいな感じの。
販売の種類を1つだとそれを買うし、3種類だと中央にあるのを買うし、もっと増やしてほしいと言われて増やすと数が多すぎて選べず誰も買わない。とかあったはず。
「現金は盗まないが鉛筆なら平気で失敬する」ていうのもあったなとAmazonの内容を見て思いだす。
人は無意識に色んな行動を取っているんだよね。