音楽を聞くのにも演奏するのにも「好き嫌い」がある。
「この人の音楽は好き。 あの人の音楽はあまり好きじゃない。嫌い」
「このフレーズは好き。あのプレイは嫌い。」
とか。
演奏者のセンスも良い悪いもあるけど、結局は好き嫌いだと思ってる。
「好き嫌い」は最終的には人それぞれの感覚なのでご自由にという領域。
なので、僕の嫌いなものを好きと言っても「そうなんだ~」だし、僕の演奏を嫌いといっても「そうなんだ~」としか思わない。
「僕は好きだけどあなたは嫌いなんだね。OKOK」みたいな。 当然怒りとかはないですよ(笑)
で、その好き好きは人それぞれでいいんだけど、そのまえに「技術の良し悪し」というのがあるよね。
客観的かつ絶対的な良し悪し
「技術の良し悪し」がある程度までは絶対的で客観的な事実に基づく評価。
例えば、バイオリンを弾くとして初めて弾いた人の音は聞くに堪えない。
これは100%技術不足で「鳴らせていない」状態。
センスとか好き嫌い以前の問題で、客観的に見て・聴いて判断する部分。
バイオリン初心者の場合もそうで、あらゆる前情報を抜きにして客観的に聞いて誰もが「これは厳しいぞ」と思えてしまう部分。 音だけを聞けば「初心者かな?練習してないな?」と思ってしまう音。
あの音を好きと言う人はあまりいないはず。。
ギターを弾くにしても、フレーズが~とかこのアレンジが~、と言う以前にパッと聞いただけで分かる「技術の良し悪し」があるよね。
技術の良し悪しの部分は「良い・気にならない」まで持っていかないと話にはならない。
技術の良し悪しに対する好き嫌いも存在するけど、それは”ある程度の技術”を備えて越えた人に対する個性みたいなものだと思う。
“ある程度の技術”までいかないと全てが「それ以前の話し」になってしまうよね。
技術は正直
技術は正直。
音楽にしてもそうだし、車の運転でもそう。 大工さんとかもそうかも。
あらゆるものに技術や習熟度が存在して、「技術の良し悪し」をクリアしていないとどうしようもない世界が多々あるよね。
「このアレンジのセンスが良いよね。俺天才かも」と言う前に「お前はそもそもちゃんと楽器を弾けてないじゃん。下手じゃん。練習しろ」と言われちゃうよね。 (この例は過去の自分に会ったら言うフレーズを想定して書きました)
もちろん「楽器の良し悪し」と「センス」は別々で考えて評価をして、さらに一緒になった時も評価する必要があると思っているので、一概には言えないけどね。
なんにせよ、技術は一番初めに相手に届く部分。
明らかに下手だったら伝わるしセンス云々の前に拒否されてしまうかもしれない部分。
技術不足や練習不足は本当に一瞬で分かるほど正直なんだよね。
「好き嫌い」の前に「技術の良し悪し」があるよね。
しっかり練習して最低限の技術は身につけたいよね。
話しはそれからだよね。
というお話でした^^