小説家の村上春樹の生い立ちを調べてみたら色々と面白かったので書いてみます。
ちなみに僕は村上春樹さんに関しては全くの無知で名前だけ知っている程度。
作品も読んだことはないけど、とにかく超有名な小説家という知識のみ。
村上春樹は大学在学中にジャズ喫茶を開業
1949年生まれの村上春樹。
1971年10月、学生結婚。
大学生の時に結婚されてたんだな~と。
さらに驚いたのが
大学在学中の1974年、国分寺駅南口にあるビルの地下でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店
大学在学中にジャズ喫茶を開業!
25歳の時に開業。
ほえ~。
その後、1975年、7年間在学した早稲田大学を卒業。とのこと。
村上春樹が小説家になろうと思ったきっかけ
ここまで見て無知である僕が思ったのが、
ジャズ喫茶を開業したり大学卒業したのは分かる。
で、今や大小説家になった村上春樹はこの時点ではまだ小説を書いてない。
いつ書き始めたの?
ということ。
それはこちらの引用が答えになる。
1978年4月1日、明治神宮野球場でプロ野球開幕戦、ヤクルト×広島を外野席の芝生に寝そべり、ビールを飲みながら観戦中に小説を書くことを思い立つ[21]。それは1回裏、ヤクルトの先頭打者のデイブ・ヒルトンが左中間に二塁打を打った瞬間のことだったという[21][22][23]。それからはジャズ喫茶を経営する傍ら、毎晩キッチンテーブルで書き続けた
小説家になろうと思った年齢は 29歳 !
しかも野球観戦中に思い立つっていう。
なんじゃそりゃ!?
ていうきっかけだよね。
その時のことをもう少し詳しく書いていた部分を発見。
小説を書こうと思い立った日・きっかけ
小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後一時半前後だ。その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。(中略)そしてその回の裏、先頭バッターのデイブ・ヒルトン(アメリカから来たばかりの新顔の若い内野手だ)がレフト線にヒットを打った。バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響きわたった。ヒルトンは素速く一塁ベースをまわり、易々と二塁へと到達した。僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。晴れわたった空と、緑色をとり戻したばかりの新しい芝生の感触と、バットの快音をまだ覚えている。そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ。
引用:『走ることについて語るときに僕の語ること』文春文庫
とのこと。
なにがきっかけというわけではなく、ほんとに突然という感じだね。
村上春樹は1979年新人文学賞を受賞し作家デビュー
1979年4月、『群像』に応募した『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞。同作品は『群像』1979年6月号に掲載され、作家デビューを果たす。
小説を書こうと思ってから1年後に新人文学賞を受賞。
たった1年で小説家としてしっかりと結果を残しデビューした。
これこそ才能としか言えないよな~。
その後は
1981年、専業作家となることを決意し、店を人に譲る。
それから凄まじい勢いで認知・評価され世界で人気の小説家となったとのこと。
村上春樹が小説家になるまで。何事も何歳でも遅くはないのかもしれないよね。
22歳 結婚
25歳 ジャズ喫茶開業
26歳 大学卒業
29歳 野球観戦中に小説家になろうと思う。
30歳 新人文学賞受賞
・・・
ここだけでも面白い人生だと思った。
小説家になろうと思ったのが29歳というのも驚き。
何歳だろうとOKなのは理解しているけど、本当に突然なろうというのが面白い。
「小説を書こう」と思わなければ大小説家は誕生していないわけで、何が起こるか分からないよね。
何がきっかけで物事が進むかもわからないよな~。
何事も何歳でも遅くはないのかもしれないよね。
って思ったのでここに書いてみました。